飛べないブタはただのブタさん

もはやブタはいません。

原動力

ここ最近は色々あって、その出来事を書こうと思ったのですが、今日のあまりの散々ぶりに、もはやその気力はありません。また後日書きます。最近あまりいいことがなかったというか、よくないことがわりとあったのですが、今日は本当に厄日だったのかというぐらいの凹みっぷりです。朝子供がいきなり熱出すわ、個人分奏中途半端に終わるわ、ヴァイオリン弾けなくなってるわ、指揮振ってる自分が落ちるわ、携帯を研究室に忘れるわ、電車寝過ごすわ、ガラス割るわ、終いには押入れの角に頭をぶつけるわで、心も頭も凹みましたという誰がうまい事言えとしかもそんなに上手くないと、とにかくなんか気分の落ち込んでしまった一日でした。
 
ただそんな荒れた心の中で、ふと子供に目をやると、何か心に染み込む潤いを与えてくれるのでした。立つと笑い、転ぶと泣く、嬉しそうに俺の髪の毛を引っ張ったと思えば、すやすやと眠りにつく。なんと無邪気なんだろう、まだ世の中の酸いも甘いも知らない無垢な心に癒されている、自分がいます。本当に自分もこうだったんだろうか、と思うととても不思議でなりません。頑張って歩みを進める姿に、なぜか今日はうるっとしてしまいました。何気ない瞬間なのですが、ただ生きているその必死さに、自戒のようなものを感じてしまいました。おかげで今日はすっきりした気分で眠れそうです。
 
よく大人の階段を上るというような表現が使われますが、本当は人間はいつまでも「子供」なのであって、「大人」という衣を身に着けていき、それを上手く使い分けるのが「大人」なんだろうと思います。そのオンオフがしっかりしている人が、いわゆる出来る人、なんではないかと。「仕事は遊びだ」なんてかっこつけて言ってる人もいますが、それは子供が遊ぶようにではなく、「大人」の自分を出し切り、完璧に演じている「子供」が自分の心の中で暗躍しているからじゃないかなぁ、と思います。まぁ、これも出来る人。そして自分の周りにはわりとそういう感じの人が多いことが、本当に恵まれているんじゃないかと考えます。
 
結論、というわけでもないんですが、最近の自分の置かれている状況を、なんか今日冴えない一日ではあったんですが、少し再認識出来たんじゃないかなぁと思います。最近なかなか自分の中にある様々なスイッチを上手く制御することが出来ていません。世知辛く、甘えもきかない世の中。ずっと「大人」として生き続けることはとても負担になります。でも無邪気な「子供」でさえ必死で生きている。その生に意味を求めるのが「大人」であるとすれば、たまにはそこからの脱却を図れば、素の自分をありのままに見つめることが出来るんじゃないだろうか、と思います。素の自分を子供に映す、そうすると、その瞬間だけなぜか心がふっと枷を外れたようになる。ほんの何気ないことが、明日への原動力となりそうです。

明日は午前中は研究、午後はサッカー、夕方は家でのんびり。楽しみです。