フューチャリスト宣言
読了
- 作者: 梅田望夫,茂木健一郎
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/05/08
- メディア: 新書
- 購入: 15人 クリック: 161回
- この商品を含むブログ (698件) を見る
「ウェブ進化論」の梅田望夫と「脳とクオリア」の茂木健一郎の対談形式。インターネットの登場からネットの「こちら側」と「あちら側」の世界の付き合い方などなど、多岐にわたってこれからどうなるか(どうするか)を楽観的に述べてたりしてます。
前回「ウェブ進化論」を読んだときはすごいなーと思ったんですが、今回はわりと漠然としたというかあくまでも「ビジョン」を示しただけで、はぁそうですか的な感じしかなかったです。でもネットの「こちら側」と「あちら側」(つまりリアルな世界とバーチャルな世界)での経済原理とか物理的な制約とかをきっちりボーダーを引いて考えるべきだというのは確かにそのとおりだと思った。でも完全に分割されるのはまだまだ先の話のような。今は物理的な制約の解消にはなっているけれども、まだまだオープンソースのような世界観は構築されないだろうなぁ。法整備も全然追いついてないし、オープンソースに対する意識もまだまだ保守的なものが主流なんだろうなぁ。
ただ気になるのがブログが流行る理由が「誰にでもオープンで、誰にでも評価できて、諸族に関係なく自分そのものを評価してもらえる」ということがありましたが、自分はそれに加えて「存在の非同期性」があるような気がします。誰かの記事が面白ければ、いろんな人がコメントする。それがどんどん投稿されてコメントの列ができ、それにまた誰かがいろいろ反応して、記事を書いた本人もまたコメントを書いて。。。というような積み重ねが、あたかも会議のように同時に意見をしているような擬似的なリアルタイム感が、ブログが人に魅力を与える大きなポイントだと思います。ニコ動も非同期性を売りにしている、という記事をどこかで見たような気がする。
あとSNSはウェブ2.0ではない、と断言するのは微妙な気がする。SNSをウェブ1.0とするのはあくまでもビジネスモデルのレベルの話であって、たとえばインターネットをもう一つの世界として定義するならば、世界にはもちろん開いたコミュニティと閉じたコミュニティがいずれも存在しているはずで、どちらに属するかの棲み分けを選択することはそれぞれ人の選択の自由であると思います。ネットが無限の大地であるならば、SNS閉じた社会であるけれども、その閉じた社会がインフレーション理論のようにどんどん膨らんでいくならば、その中で独特の未知との遭遇はあるはず*1。中途半端という理由で切り捨てるのはどうかと。
あとこれは批判だけど、一つの専門で勝負するならば本当に好きでないと勝てない、というのは欺瞞だと思いました。そうだとしても、言われた側からすれば余計なお世話でしょう。それに本当に好きなことをできない環境に強いられている人間の方が圧倒的に多いはず。そういう前提でない議論にしろ、「ビジョナリー」の存在価値を高めるための対比として登場したに過ぎず、別にどうでもいいような発言のような気がします。もちろん好きでないとできないことは沢山あるでしょうけど。
まあなんか一石を投じたかった感はあったような気がします。茂木健一郎の「アインシュタインではなくダーウィンになりたい」というのは、なるほど、と思った。
*1:でもそういうモチベーションで利用したことはないなぁ。