飛べないブタはただのブタさん

もはやブタはいません。

音楽嗜好症

まだ途中ですが


音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々

音楽嗜好症(ミュージコフィリア)―脳神経科医と音楽に憑かれた人々


そもそも音楽というのは人間が生きていく上で必要なのか?というテーゼが本書の大きなテーマ。なんらかの障害を負ったり、事故などで脳にダメージが与えられたような極端な状態にいる人が、音楽を突然好きになる、もしくは忌み嫌うようになるなどの現象を脳神経科学の視点からいろいろ迫っている。そしてそういった訳の分からない現象によくよくフォーカスを当てれば、実は音楽って人間にとっては必要不可欠なものなのかもしれない、というのが全体の大きな主張で、取り上げている現象は29章に分けて様々な症例から考察がされている。

著者は「レナードの朝」で一躍脚光を浴びた脳神経科医のオリヴァー・サックス。まだまだ現役のお医者さんなんですなぁ。取り上げている現象は、わりとポピュラーな幻聴・絶対音感・音痴・共感覚から、落雷に打たれて蘇生した人が急にピアノ演奏を憑かれたように行うようになったりだとか、ある民族音楽を聴くだけで痙攣発作を起こすなど、普通ではありえないような症状を起こした人の例まで多々存在する。

とりあえず読み進めている途中。今のところ一番面白いと思ったのは、音楽の「感性」と「感覚」というのは全く別モノであるということでした。

本当に耳がよくて、実際、ママにもメアリーにも私にもない絶対音感があるの……それに指が柔らかくて、手首につくくらい反らせることができるし、何でも初見で読める。でも、コーデリアが弓を弦にのせるたびに、ママの顔はくしゃくしゃになる。最初は怒りで、それからだんだんに哀れみで。彼女が出す音色はひどくベタベタしていて、楽節のまとめ方はいつも、ばかな大人が子どもに何かを説明しているみたいに聞こえた。それに彼女はいい音楽と悪い音楽を聞き分けることもできなかったわ。私たちはいつもできていたのに。
コーデリアに音楽の才能がないのは彼女のせいじゃない。ママはよく言ってた……パパの遺伝だって。

プロの音楽家の脳は、大脳皮質の視覚野、聴覚野、運動野、他にも小脳や灰白質の量が多いというデータがあり、またこういった運動皮質とかそういう部分は、子どものときからの音楽トレーニングで発達させることが出来るかもしれないという研究もあるらしい。スズキメソードとかまさにそれを利用した方法である。そうなのかな。。。

基本的に音楽の能力というのは潜在的には誰にでもあるらしく、完全に発達させるには刺激を与えてやる必要がある。その能力は子どもの時に養われるものではあるが、それでも音楽に対する情熱があれば、上限はあるだろうが能力を伸ばすことは十分できる。。。といったことが書かれている。才能と情熱、感性と感覚は別なんですね。

よくクラシック音楽を幼少の頃から聴いていると、音の聴き分けが出来るようになるというのは、多分振動数の広い音の刺激を脳が受け続けることで、聴覚野を司る部分が発達するからなのだろうが、自分から表現する部分というのは、運動・判断等が司る部分が役割としてあり、またそれは別の問題というのは面白いなぁと思った。でも耳がよくてもヴァイオリンが下手な人っていうのはあまり聴いたことがないが、そういう人はハナからヴァイオリンを続けているわけはないんだろう。

もう少し読みます。結構ボリュームあって大変。