飛べないブタはただのブタさん

もはやブタはいません。

動物化するポストモダン

読了

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

戦後の日本で築かれてきたポストモダンの世界はオタク系文化として現れて〜云々という話。オタクが何を求めて消費しているか、という問いに対して「データベース消費」という結論を出し、解説はとても納得させられてしまった。最後の応用論については正直蛇足だと思いましたが、20年前のオタクの行動としては、作品の物語における「世界観」や「設定」を自ら補完して消費する「物語消費」であったのに対し、現在は作品の設定うんぬんにかかわらない表象(キャラクターとかメカとか)と、その表象を決定するデータベース(たとえば「巫女さん」「メイド服」「妹」などのジャンルや属性を管理する)を消費する様相を呈しているとのこと。一時期の萌えブームは明らかにその消費パターンに適応しているような気がします。また、データベース消費の社会以前においてはオタク達は「虚構」にリアリティを感じ、「スノビズム」つまり自然の法則を否定する行動をとることで充足を満たされていたが、現在はデータベースによって構築される膨大な「小さな物語(表象みたいなもの)」をただひたすら追っている(オタクはデータベース(本質)に近づいているつもりでいる)という状態になっており、永遠と満たされることがない状況となっている、ということも書かれています*1

ただこれが執筆されたのが2001年で、当時はまだオタクに対する偏見(というとまずいかな)などあまりよいイメージが持たれていないことを前提に書かれた内容であって、現在はたとえばアキバ系として広く認知されたり、2ちゃんねるニコニコ動画のような新しいメディアの台頭によってオタクの行動パターンが果たして当時のままなのかとかそういう検証は必要な気がしますね。


と思ったら続編があるようです。

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

ちなみに著者は現在の日本や世界各地のポストモダン世界については「動物的」という表現をよく使っているみたいです。アメリカ型の消費社会、つまりモノを欲求すればすぐに手に入る時代(たとえばファーストフードや風俗のような性産業)になったときの世界になったとき、文化に与える影響はどうなのか、ということを盛んに議論してるみたいです。僕はよくわからないですが(この説明も間違っているかもしれない)

*1:ただやおいのような同性愛などに関しては適用できないらしい。理由は不明。